大宰府政庁跡(福岡・大宰府市)

律令時代の九州は西海道と呼ばれ、西海道の統括のために大宰府が置かれていました。

大宰府は外交・貿易の重要な窓口としての機関であり、中央政府に準じて地方機関としては最大規模であったと言われています。

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大宰府の中心である政庁跡
他にも各種行政機関や学校なども置かれていたようで、ここは大宰府のほんの一部です。

大宰府は「遠の朝廷(とおのみかど)」とも呼ばれ、中国大陸・朝鮮半島との交流窓口であった一方、防人を統括する防人司が置かれて、重要な軍事機関でもありました。


大宰府政庁跡の広大な敷地の中には、建物や門の礎石が残っていました。
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大宰府政庁跡礎石 (500x375).jpg
発掘調査によると、7世紀後半に掘立柱の建物が建てられ、8世紀初めに礎石を使った建物が建てられました。

940年に藤原純友が大宰府を襲撃した承平天慶の乱(藤原純友の乱)により建物は焼失してしまい、現在の建物礎石跡は10世紀になって再建された時のものです。

中央政庁に次ぐ機関でありながら、一方では中央政府で失脚した貴族の左遷先としての位置付けでもありました。
菅原道真は901年に京都から左遷され、903年に大宰府で生涯を閉じています。


【所在地】福岡県太宰府市観世音寺4-6-1
【関連史跡】大宰府天満宮

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