名城・名跡紀行(パクス・ジャポニカ Vol.3)

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zoom RSS 中津城(大分・中津市)

<<   作成日時 : 2011/07/22 20:46   >>

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歴史に「もしも」は禁物ですが、もしかしたら豊前中津城が天下に号令を発する城になっていたかも知れません。

築城主を思うと「さもありなん」と言った感じですが、中津城の築城主は豊臣秀吉からも「その気になれば天下を取るであろう」と言われた名軍師、黒田孝高(官兵衛)です。

築城の名手でもあった黒田官兵衛の中津城ですが、古城図を見ると三角形の非常に珍しい縄張りをしていました。
中津城縄張り図.JPG

古城図で見ると大手門は枡形虎口になっていたようですが、現在も石垣の一部が残っていました。
中津城大手門跡.JPG
大手門の石垣
現在は小学校の塀として使われています。


三の丸から本丸の間には土橋と黒御門の枡形門があったようですが、現在は裁判所の敷地に変わっていました。
中津城黒御門跡.JPG
黒御門跡
わずかに枡形の名残があります。


本丸大手口には石垣が残り、椎木御門の枡形が残っていました。
中津城椎木御門跡.JPG

中津城本丸石垣.JPG
椎木御門に続く本丸の石垣(二の丸から見たところ)


本丸の内堀もあったのですが、明治になってからも拡張されたようで、後世になって積まれた石垣もあるようです。
中津城内堀.JPG


中津城本丸.JPG
本丸

本丸には奥平神社があり、長篠城の籠城戦で知られる奥平貞能・信昌・家昌が祀られています。
中津城模擬天守 (500x375).jpg
江戸時代半ばの1717年より奥平氏7代の奥平昌成が中津城に入城し、代々奥平氏が城主となって明治維新を迎えました。


奥平神社の横に天守が建っていますが、こちらは模擬天守です。
中津城模擬天守2.JPG
模擬天守は観光を目的として、奥平氏を中心に市民の寄付で建てられたものですが、元々天守は建てられておらず、古城図にも天守の姿はありません。

萩城の天守を参考に建てられた望楼型の5層5階建ですが、黒田官兵衛ならばこのような天守などは建てなかったと思います。


〜城跡データ〜
【所在地】大分県中津市二ノ丁本丸
【築城年】1587年
【築城主】黒田孝高(官兵衛、如水)
【遺構】曲輪、石垣、堀
【その他】続日本100名城


中津城は1587年に、黒田孝高(官兵衛)が豊臣秀吉から豊前中津16万石を与えられて築城を開始しました。

黒田孝高が黒田長政に家督を譲った後、関ヶ原の戦いの功績によって筑前52万石に加増され、黒田氏は名島城(のちに福岡城)に移っています。

黒田氏の後は細川忠興が入城し、細川忠興が小倉城に移った後も細川忠利が中津城を居城とし、中津城の改修を行なっています。

その後は小笠原氏、奥平氏と城主が代わり、奥平氏の時に明治維新を迎えました。


黒田官兵衛については、関ヶ原の戦いの時、中津城の金蔵を開いて農民などから幅広く兵を集めた話があります。
天下を分けた戦いが関ヶ原で行われていた時、天下を狙って九州で挙兵したとも言われていますが、真相はいかがなものでしょうか。





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